聖なる入り江

 

少し遅めの夏期休暇で、長崎県五島列島に行ってきた。この数年、五島列島の教会群は世界遺産候補になっているので、登録前のまだ静かなうちに行ってみたかった。

福江島から久賀島奈留島を渡る、巡礼のような旅になった。

 

長崎空港から小さなプロペラ機を乗り継いで福江島に入る。窓から見える景色でまず驚いたのは、五島の海の透明さ。こういう海があることを知らなかったというくらい、青く澄んでいる。
f:id:march1st:20160827064404j:image久賀島
f:id:march1st:20160827063852j:image旧五輪教会

そして、山間や海辺の集落に、驚くほど立派な聖堂がある。
f:id:march1st:20160827065135j:image楠原教会
f:id:march1st:20160827065628j:image水ノ浦教会
五島エリアのカトリック信者数は8%くらい。日本の平均が3%程度なのでやはり多いし、世界遺産候補として地域全体で働きかけているためか、存在感がとても大きい。その事に驚いたし、不思議な感じがした。
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福江島は、東シナ海を望む西の端にあたる。かつては遣唐使船が唐に渡る前に最後に寄港して水や食糧などを補給し、ここから大海原に乗り出していった。
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遣唐使船で留学僧として唐に渡った空海も立ち寄ったとされ、「本涯を辞す(日本の最果てを去る)」という漢詩を残している。
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岬には、まだ若い姿の空海像が立っていた。

 

福江島はまた城下町でもあった。地理的に中国大陸や朝鮮半島に近く、防衛の最前線の役割を担っていた。江戸末期に建てられた石田城は日本最後の城と言われている。

こんな小さな島にも関わらず、幾重にも外濠を廻らせている。
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 海岸線はリアス式のように複雑な入り江を持ち、お陰で穏やかで豊かな海と、禁教下ではキリシタンたちの隠れ場所を得ることができた。

 

キリシタン弾圧の悲劇を内包しながらも、神に祝別されたような恩恵の島に見えた。
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盛夏の色彩

庭の唐辛子がよく生るので、収穫して乾燥させている。昨晩大雨が降ったというのに、今日は朝から打って変わった快晴、いや猛暑。何かを干すにはこの上ない。
唐辛子は、そもそも栽培が簡単なのか、あるいはうちの環境が合っていたのか、何もてをかけていないというのに豊作で驚いている。今日の収穫もシーズン二度目で、前回はもっと沢山採れた。この先一年間で使うには充分な量だ。
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夏の庭の緑に映える、この鮮やかな強い赤色が好きだ。

 

一昨年の冬休みに訪れたブータンは、料理に唐辛子を多用する国だった。辛いものを食べるイメージを持っていなかったので驚いたが、現地では唐辛子の種類も多く料理ごとに使い分け、そして特に夏に出回る生の唐辛子を楽しみにしているんだと聞いた。

ヒマラヤの小国で標高も高く寒い国かと思ってたけれど、実際は緯度が低い(日本の奄美大島くらい)ので暑い国らしい。真冬でも雪が積もることは滅多にないそうだ。辛い食べ物で暑気払いしつつ、お米をたくさん食べる食文化なのだとか。

日本でも生の唐辛子にお目にかかる機会は滅多になかったけれど、この夏せっかくだからと使ってみたら、風味や香りとかよりとにかくものすごく辛かった。つまりブータンの人たちは、夏に味わえる更なる辛さを待ちわびていたようだ。

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自らの地を「ドゥルク・ユル(龍の国)」と呼び、仏と王家を尊崇する民。

民族衣装に身を包んだ伝統的な姿のまま、先端のガジェットを手に英語と母語のゾンカ語を自在に操る不思議な国だった。

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冬の記憶

夏期休暇が終わるころには、冬期休暇の旅の計画を立てないといけない。

ここ数年、年末年始は海外に行っている。去年はチベットに行った。標高3,000mの澄み切った青空の下で、冬のラサは巡礼者の街だった。

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仏舎利の納められた寺院の周囲を、五体投地で祈りながら巡礼する。

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老いも若きも、自分の、あるいは誰かの願いを背負って祈る。

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 チベット人遊牧民

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かつてダライラマが居住した、ポタラ宮

そこに座すべき尊い人を奪われたまま、それでも人々は遠い山の向こうからはるばる五体投地で巡礼に訪れ、空となった聖座に祈りをささげる。

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チベットの瞳と呼ばれる、ヤムドク湖。

湖面はさざ波が立っていても、とても静か。

 

 

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花を活ける


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この夏は、週末に近所の市場で花を買うことを覚えた。

花屋で売っているきれいに整えられた花ではなくて、農家の庭先で、あるいは畑の傍らで無造作に咲いた花。野菜のついでみたいにして売られている、粗雑な生命力で育った花。

部屋の中に、外の季節がそのまま持ち込まれたみたいだ。

 

 

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